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神戸防災学習とハーバーランド

 7月9日、神戸に行きました。  今年3月の大地震、大津波による東日本大震災は、想像を超えた巨大災害となり、あまりにも多くの犠牲者、被災者、被災状況となりました。
 私たちは、予期せぬ自然災害に、どのように立ち向かえばよいのか、どう身を守ればよいのか、このことを考えてみようと、神戸にある「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」で体験学習を行いました。

 時間の都合で、先に、神戸ハーバーランドに行き、美しい港の景色を見ながら、昼食をとりました。
昼食後、神戸市中央区の海岸通にある、人と未来防災センターに向かいました。
 巨大な2棟(東館・西館)の建物では、防災について、様々な体験、学習ができるようになっています。

 始めに、東館の1階、ガイダンスルームで、防災ボランティアの中田篤彦氏による講話がありました。高校生とその保護者が対象ということで、それに合わせたお話をしていただきました。
 災害の経験を語り継ぐ必要性、防災も必要だが、同時に、どう減災するかも重要であること等、阪神・淡路大震災だけでなく、東日本大震災での教訓もふまえて、この日のために用意されたレジュメを使いながら、一人ひとりに、穏やかに、しかし、真剣に、語りかけるように、説明してくださいました。

 次に、4階では、震災の追体験ができる、1.17シアターに案内され、地震破壊のすさまじさを映像と音響で体感しました。再現された、震災直後のまち並みを通り、大震災ホールでは、復興に至るまでのまちと人を、直面する課題とともにドラマで紹介されました。
 3階では、震災からの復興をたどったり、震災の記憶をどう残せばよいのかを考えるフロアなどがあり、2階は、防災・減災体験フロア、東館では、水と減災について学ぶフロアと、各自、防災について、学習をして行きました。

防災学習の感想

「印象に残ったのは、7分間のシアターと津波の高さの表示された幕、火災で溶けて曲がった看板です。地震はいつ起きるかわからないというところが恐ろしいです。私には、阪神級、今回の東北級のような大地震は、未だ体験したことのないものです。いろいろな資料を見て地震の恐さというものを学んではきましたが、これは『実際に体験しなければわからない』と感じました。今私にできることといえば、非常用の物資を家に置いておく、逃げ道を確認したりなどの、地震や津波などに対する対応だけだなと思います。天災は逆らえませんが、対応次第で、減災できると思いました」

 

「神戸の震災は、生まれたばかりのときだから、覚えてないけど、すごいことだったんだと思いました。私もできることをしたいです。今日の語り部さんの話を聞いて、今、テレビでいっている『ひとつになろう日本』という意味がわかった気がしました」

 

「阪神・淡路大震災という大きな災害が起き、たくさんの反省をしたにもかかわらず、東日本大震災が起きてしまい、人はこの間に何ができたのだろうと考えるばかりです。災害をなくすことはできないけれど、被害を減らすことはできる。自然には勝てないことを理解し、自然とうまく付き合う必要があると思います」

 

「東北の震災を機に、復興という言葉をよく聞くようになりました。私の中で、復興というのは、元に戻すというふうに捉えていました。しかし、被災者の方のお話を聞いていると、戻すのではなく、進むということなのかなと思いました。あのビデオを見て、あの映像を見て、目を開けられない場面が何度もありました。これがあの神戸の町なのかと恐怖と不安を覚えました。被災者の方の勇気で地震の対策、災害の対策ができていると思ったら、とても感動しました」

 

「災害が人に与える影響は、私たちの想像をはるかに上回り襲ってくる。私たちは災害が起こる原因を知り、常に警戒し、万全の対策を練っておくべきだと思いました」

 

「今回の大震災も、人々が助け合えば、乗り越えていけると思います。また、自分にもできることがあるのではないかと思いました」

 

「今まで、あまり想像できてなくて、危機感を持っていませんでしたが、今回の学習で、自分は普段たくさんの人に支えられて生きているということ、いつ災害にみまわれるかわからないということを頭に入れて生活していこうと思いました。現在、復興に向けて頑張っている東日本の方々のために、募金以外にも何か力になれるように努力したいと思いました」

 

「まず、第一に非常にショックでした。最初に7分間の迫力ある映像を見て、思わず目を閉じて、最後まで開けられませんでした。轟音に地響き、燃える炎、まともに見ていられませんでした。私が体験したのはあくまで一部であり、その後を知りません。家が押しつぶされて、その中から聞こえる声。『早く逃げて』その時私なら逃げなかったでしょう。東日本大震災があった日、私は居間でテレビを見ていました。すぐに、画面が切りかわり、『津波が来る』と放送していました。本当に来るのかなあ…?と不思議でした。しかし、その数分後、画面の中には、この世のものとは思えない映像が映っていました。あのときの衝撃を私は忘れることがないでしょう。今、日本は1つになろうとしています。風評被害に負けないで立ち上がろうとしています。政府も政権がどうとか言っている場合ではないと思います。また、世界からの支援も大変ありがたいです。地震大国といわれる日本、いつ来るかわからない天災に備え、対応できる状態にすべきです。忘れてはいけません。命あってこそ、過去あってこそ、私たちが普段どおり生かされていることを」

 

「今、生きていること、身の回りが豊かなこと、全てのことが当たり前と思わず、恵まれていることなんだと気付かされ、一日、一秒、一刻、一刻を大事に、生きて行きたいと思いました」